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講談師と行った妖怪ツアー その4(終) [旅行]

 続きです。

 於岩稲荷です。ほとんど向かい合って二つの神社があるのです。
 なぜ、といわれても、二つあるのだとしかいいようがないのですが。

 一つは於岩稲荷田宮神社。こちらは都の指定を受けた旧跡です。

 ところが、このはとバスツアーに出かける直前の新聞に「都指定の旧跡は根拠が乏しい」として、この田宮神社も見直しの対象に挙げられていたのです。人気のはとバス怪談ツアーのことも記事になっていました。なんともタイムリー(?)な話題です。
 当然、多田先生もその話をご存じで、神社の前で云っておられました。

 しかし補助金が支出されているわけでもなく、都が長年に渡って御墨付きを与えているわけですから、いきなり根拠がないからといって指定をなくすというのは暴論だと思います。
 というか、そもそもお岩さんの物語もみんな作り話だとわかっていて、それを江戸時代から庶民が楽しんで来ていたのだし、それを嘘だからといっていまさら「根拠ないから」というのも不粋ですよね。なんとも心に余裕が無い感じがします。

 この田宮神社は、こんなに大人数でなく一人で来てみたい所だと思いました。

 もう一つは御岩稲荷陽運寺。縁切りの絵馬がありました。ここは大勢でわいわい来た方が楽しいかもしれません。

 さてさて、次は怪談ツアー最後の地、将門塚です。

 将門の首が京都から飛来して、この地に墜ちたというまことしやかな伝説。
 私は、小学生の頃にその伝説を聞いてから、ずっと将門塚に行きたいと思っていました。だから、長年の夢がかなったわけです。

 ビル群の中の、本当にわずかな空間に将門塚はありました。うっそうと緑が繁る静寂の空間。
 蝉の声、そよ風、木もれ日。
 
 そこに将門塚はありました。

 敗戦前までは石碑の背後に塚があったということです。
 今は、四方をビルに囲まれています。
 ちょうど背後にあたるビルは工事中でした。

 近くの交差点には、標識が立っていて「気象庁」「東京消防庁」の下に「将門首塚」とあるのが妙に不思議でした。


 そして、はとバスツアーも終点の新宿駅に向かって、黄昏の街を進んで行きました。

 講談師の弟子としての裏話や、苦労話などを聞きながら。

 多田先生と東雲騎人くんの最後の挨拶の時、
「全生庵の特別展示の、あの、なんだっけ絵師の名前・・・」という多田先生に東雲くんが
「伊藤晴雨?」と応えると、待ってましたとばかりに多田先生のボケ(?)、
「いとうせいこう?」

 あまり受けていなかったのは伊藤晴雨を知らない人が多かったから?それともいとうせいこうが?・・・真相はわかりません。私は思わず吹いてしまいました。

 こうして、一日がかりのはとバス怪談ツアーは終了しました。
 運転手さん、バスガイドさん、講談師さんにお礼を告げて黄色いバスを降りました。

 東雲騎人くんから最後にとどめの一言。
「一番大事なことですが、これは『妖怪学入門』講座で企画したものです。ぜひ、受講していない人は御参加ください」

 ・・・このブログをご覧になった方は、どうか受講してみて下さいね。『妖怪学入門』、蒲田教室(多田克己先生)と錦糸町教室(東雲騎人先生)が待っているはずです。

 それでは長々とおつきあいありがとうございました。
 以上、講談師と妖怪研究家と妖怪絵師と行く怪談ツアーでした。
 おそまつ。


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