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ジョアン・ジルベルト 『最後の奇跡』  2006.11.8 [音楽]

ジョアン・ジルベルトの3回目の来日公演に行って来ました。私自身にとっては2004年に続いて、2度目のライブ。
少し感傷的な文体で書くのでご笑覧ください。

※ ※ ※

この会場を占める静謐な空気はジョアンだけがかもし出しているのではない。
またオーディエンスだけが頑張ってつくり出しているわけではない。
両者がともにつくりあげているのだ。
だから、このライブが終わった瞬間にジョアンと一緒にやり遂げた、という誇らしい気分になるのだ。

眠る女性、遠くで咳込む人、リズムを取って椅子を揺らす一つとなりのおじさん・・・正直云って僕をいらいらさせる。
でも、そんないらいらも時が進むにつれて、いとおしさすら感じさせる。ぼくのいらいらもこのライブの空気の一部となり、観客と共有し、ジョアンと共有するのだ、きっと。
ジョアンも自分の演奏、唄、演出や観客の態度などに満足したり、うっとりしたり、ときにはいらいらするかもしれないのだから。

すぐ後ろで講釈を垂れていた若者。「巨匠はみんな死んでしまった、あとはジョアンだけだ」なんていってたけど、ジョアンが「三月の水」を唄い始めたら、無邪気に拍手喝采、惜しみない賛辞を叫ぶ。僕の代弁者だ。嬉しい。

斜め前で眠りこけているお嬢さん、あなた、その席がいくらすると思っているの?そんな良い席で音も抜群、なのになんで眠ってしまったの、仕事が大変だったの、などと憤慨しそうになる。でもジョアンの「声とギター」を子守唄に眠れるなんてやっぱり世界中で今ここだけの贅沢だよ。

曲間で出入りする人たちもたくさんいて、決定的な物音をたてずに席に着けるかどうか、そんなことばかり気になってしまったけど、そんな人たちもきっとよんどころない事情があったのだろうなあと、ふと思い直す。

目覚めた女の子、君はとてもラッキーだ。ジョアンの声は君が眠りにつく前よりいっそうつややかだし、ギターだって星のように鳴り響く。良い時間に起きたね。

途中から、ぼくの頭のてっぺんから足のつま先までぴんとつらぬいている「芯」のようなものがじわんと痺れてきて、今日の昼間あったつまらない出来事や、明日以降フォローしなくてはならない問題が浮かんでは消え浮かんでは消えていたけど、その「じわん」が頭の中心へ染み込んでいって離れないので、もうずっとこの時間が続けば良いのにって思った。

「想いあふれて」を唄い出した時に、ぼくは、まだ早い、お願いだからもう一曲だけ唄ってジョアン、と焦った。焦りながらぼくはジョアンと一緒にくちずさんで唄った。
終わってしまうことがこんなにおそろしいことだとは!
が、ジョアンは唄い終わってからまだギターを手放さなかった。ところが、始まったのは「ヂサフィナード」。ぼくは再び思った、お願いだからもう一曲だけ、と。
そして次は「コルコヴァード」だった。もう終わる、でもこの曲では終わらないだろうな・・・と思ったとたん始まったのが「イパネマの娘」だった。

「イパネマの娘」!

2004年の公演では聴けなくて、心残りだった曲。ぼくがジョアンの歌を初めて聴いたのもこの曲だった。
だから、この曲で終わりだろうな、と思ったらやっぱり唄い終わったジョアンはギターを手に去って行った。最後におじぎを3回して、去って行った。

ぼく達はやり遂げた、ジョアン。


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