SSブログ

「サバイバル登山家」服部文祥   [本]

サバイバル登山家

サバイバル登山家

  • 作者: 服部 文祥
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2006/06
  • メディア: 単行本

こんな本を読みました。
山と真摯に向き合うためには最新技術の装備を背負わずに、最低限の所持品と身ひとつでサバイバルするほかない・・・そんな考えのもと、服部氏は長期間の山行を行うのです。
それは山もしくは自然とフェアに対峙するための方法であるといいます。

正直云って、こういうことは考えついても実行しないのが関の山なのですが、彼は実行してしまう。
それは確固たる信念のもと、といいたいが、実は本人は結構小心者であり(と自分で云っている)、いつも迷っています。他人の声に影響を受けやすい己を良く知っているのです。

山に入るために1ヶ月の休暇を取る時に会社から契約を切られそうになって「家族と相談させて欲しい」などと云ってしまう。
山中でようやくつながった携帯電話で、妻と長く話すと心が揺れ動くから、といってすぐに切ってしまう。
山の中では貴重な食糧を、出会った登山家たちから分けてもらえないだろうか、と逡巡する。話を切り出して冷笑されたりする。

あえてみっともない姿をさらけだしているようにも見えます。一種のポーズにも。
しかし、これは私自身の姿でもあるのです。
登山家が皆、超人や聖人であるわけではないのです。契約を切られたら職を失って家族もろとも路頭に迷うのは目に見えるのですから、相談させてくれ、というのは何ら恥ずかしいことではないはずです。それに対して「そこまでの覚悟の登山ではないのか」なんていう会社の上司の感覚のほうが、本当はおかしなことなのではないでしょうか。(登山にまつわる理想主義的な臭いはこういうところから匂ってくるように思います)
心の迷いは誰もがもっており、それを隠したり、何かでごまかしたりはできるけれども、消し去る事はできないのではないでしょうか。

都市に生きている人間を筆者は「お客さん」であると断じます。確かに自分の力で生きる部分がほとんどありません。仕事を持って、その仕事を全うするのに力を注ぐことはあるにせよ、衣食住の部分ではゼロ、といってもいいほど他人に生かされているからです。そういう意味では私自身も「お客さん」です。
強くなりたい、と筆者は書きます。お客さんではなく、自分の力で生きる能力を高めたいと。そのためのサバイバルなのだと。

会社の上司に説明しようとして、説明できないシーンに私は心を打たれます。
とてつもなく深いズレを感じてしまい、いくら説明しようとも、彼は彼の価値観でしかその説明を受け入れる事ができない。そのことを説明する前にわかってしまったという悲劇。

胸の内を開けば開くほど、伝えたい事からはどんどん遠ざかってしまうこと。
だから黙って自分のうちだけで計画を立て、実行してしまう。

己の中に抱いてしまった疑念や欲望は、自分自身の行為の結果でしか解消したり昇華させたりできないものなのでしょうか。
いや、他人に影響を受け過ぎてしまうということの反対には、自分自身への疑いがあるはずです。むしろ、他者とは関係ない山(自然)で自己と向き合う事、理不尽でも絶対的な自然という存在に翻弄されることを望んでいるように思いました。

とりとめもなくこんなことを考えた本でした。


nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 2

kenta-ok

私もこの本は楽しみながら読みました。
by kenta-ok (2007-05-06 11:35) 

黒糖そば

kenta-okさん、コメントありがとうございました。
これの続きがあれば読んでみたいです。
子供と過ごす時間が大切になってきているという服部氏の気持ちもよっくわかります。自分に正直でいたいということなんでしょうか。
by 黒糖そば (2007-05-06 16:08) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。