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『陽だまりの樹』手塚治虫 [漫画]


陽だまりの樹 (1) (小学館文庫)

陽だまりの樹 (1) (小学館文庫)

  • 作者: 手塚 治虫
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1995/05
  • メディア: 文庫



実家に帰省してきました。帰省するたびに本の整理をするのが私の義務というか仕事になっていまして、周りにあきれられながらも押し入れから段ボール箱を引っ張り出してきたり、床下にもぐってホコリだらけの本を探し出すのです。
なぜ周りがあきれるのかというとまた長くなるのですが、要するにそこまで本をためて置きっぱなしにしたのは私なので、それらの本を整理して不要なものは売り払うところまで手配して責任を果たそうとするのですが、なんでそんなことに躍起になっているのか周りはさっぱり理解できないので「せっかく帰省しているのだから、のんびりすればいいのに」とか「今やらなくてもいいでしょ」といわれてしまうのでした。だから年に数回の帰省で少しずつ整理してもなかなか本が減らないのです。
が、今年はやりました。かなりの本を減らしました。というかもう置いておいても今後読まなそうなものはいらない!という不退転?の意気込みで古書店へ持っていきました。
某大長編や思い入れの少ないファンタジーRPG小説のたぐい、陽焼けしまくりのサガンの文庫とかなんで買ったのかわからない新書のいくつかとか、ぼーんと5箱くらい。
それでもまだ7箱くらい残りました。その中から、持って帰りたい本やCDを選んで箱詰めしたら2箱になりました。全部持って帰ろうとしたら止められたので、一箱のみ。残りは引き続き実家預かりです。いつまでこんなことをやっているんだ私は。

そんな箱の中に手塚治虫の『陽だまりの樹』がありました。晩年の大作です。正月は『アドルフに告ぐ』だったので、今回はこれを読破することにしました。
この長編は手塚の曾祖父である蘭学医の手塚良庵と、もう一人の架空の武士である伊武谷万二郎を主人公に、彼らの目線で幕末を描いています。世に幕末を描いた小説、漫画は数多くあります。手塚自身もすでに新撰組を描いたことがあります。しかしここでの描き方は、歴史上の人物が豪華絢爛にきらめく群雄劇などではありません。あくまで良庵と万二郎の人生を中心に、歴史上の事件や人間関係に翻弄される市井の人々を描いているのです。
さて今、歴史上の、と書きましたが、日々起きる事件には歴史上もくそもなく、起きてしまったことは元には戻らないし、それが歴史に残るか否かはその事件の当事者や傍観者にとっては実際どうでもいいものです。にもかかわらず、歴史に名を残したがる人はわんさといますし、今では凶悪な犯罪を犯すことで有名になりたがる者もいるくらいです。正であれ負であれ名をのこしたいという欲求はどこから出てくるのでしょうか。そりゃ私にだって多少はあります。名を残したいというよりは、自分の納得のいく何かを、なんでもいいから何かを残した(と思いた)い。死ぬ時にこれだけは自分はやった、と思わないよりは思って死にたい。そんな欲求はあります。
話がそれましたが、歴史に残らない事件なんて毎日、毎時間、毎分、毎秒起きています。それらの無数の出来事を羅列しても永久に歴史にはならないのと同じように、それをそのまま漫画に描くとしたら、これほど意味がないこともまたありません。そもそも漫画になりません。だから、市井の人々を描くことがイコール現実的な地に足の着いた真の歴史だとか、立派な漫画だとか、そんなことを言う気もまるでありません。
ではこの漫画で志向されている目線とは何なのでしょうか。もちろん当時の社会の中で地位の低い主人公が既存の権力と対立していくが、時代の勢いによって少しずつその地位が認められていく姿を描いた、というのは一番オーソドックスなところでしょう。しかし、同時にそこに描かれるのは、猪突猛進の性格の万二郎が武士としての拠り所(名誉や正義や誠実さなど)を過剰に思い込むことにより失敗を繰り返す姿や、にもかかわらずその性格によって周囲の信頼を勝ち取っていく姿や、逆に拠り所が徐々になくなってしまい最後は迷走してしまう姿などです。(漫画自体も最後はやや迷走気味です)
とてつもない成功や勝利、あるいはとてつもない失敗、敗北は歴史になりえます。しかし、歴史に乗り切れなかった人々やそもそも歴史に残る事件にまるで関わりのなかった人々や事件に関わっていてもその他大勢の一人に過ぎなかったとか、そういった人々は歴史に残りません。
手塚良庵にしてもいまや手塚治虫の先祖といわれることはあるにせよ、この漫画が描かれるまではそういう残らない人々の中にいたはずです。そういう人々を現代に甦らせるために手塚はペンをとったのかもしれません。しかし当然、派手な物語にはなりません。そこで生まれたのが万二郎だったのだと思います。まったく架空の人物。当たり前ですが歴史には残っていません。けれども良庵に比べるとよっぽど歴史上の事件に陰で関わることになります。狂言廻しとしては派手だし、突飛だし、にもかかわらず魅力的なキャラクターなのでした。それでいて良庵というキャラクターを食ってしまわない程度のバランスが非常によくとれています。
後半に、この二人の主人公が飲みかわす印象的な場面があります。その一コマを描きたかったのだろうなと思わせるコマがあります。そこがこの漫画のクライマックス。あとは終息に向かうのみです。(これ以降は漫画自体の集中力がガクッと落ちるような気がしました。良庵の動きはぱっとしないし、万二郎は先に述べたように迷走してしまいます。)
歴史は全て未来から見ている筋書きのある物語のようです。歴史に残っているのは(未来から見て)その物語とずれていない人物です。しかし、この漫画では未来は不確定のものであり、キャラクターたちは歴史的に正しいことをするわけでもなく、むしろ相当ずれた行為もするわけです。ほとんどの同時代に生きている人々は未来が見えていない、ということをこの漫画は描くのです。そしてそういう人々はたまにこういう珍しい漫画に愛惜を込めて描かれない限りはその存在すらもなかったことにされてしまうのです。
ともあれ、それについてとやかく言うつもりもありません。歴史に残らずに死んでいく人間もごまんといるんだー!と怒鳴る気もありません。こういう物語がもっと多く読みたい、それだけです。
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