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多木浩二再読月間 [本]

先月、大蟻食様の明大の講義を聴きに行こうと思って予習のためにちょうど良いかな、と思って本棚から引っ張り出した多木浩二先生の『肖像写真』。ザンダーについても1章書いていたものだから、興味深く読めました。それで思ったのはやっぱり多木先生の文章ってスリムでシンプルでかつ含蓄があるなあ、ということでした。深い思慮をへた明解な論理展開が心地よいのです。そこまで断言するか、と思うときもありますが、説得力があるのです。

肖像写真―時代のまなざし (岩波新書)

肖像写真―時代のまなざし (岩波新書)

  • 作者: 多木 浩二
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: 新書


この『肖像写真』ではナダール、ザンダー、アヴェドンという時代が異なる3人の写真家が撮った肖像写真をもとに、その時代にしかないまなざしを探っていこうとする試みています。つまり「顔の意味の歴史」について言及しようということです。
ちなみにナダールは19世紀後半、ザンダーは20世紀初頭、アヴェドンは20世紀後半に活躍した写真家です。
簡単にまとめてみましょう。
ナダールは同時代の人々を無数に撮っていく中で、ブルジョワジー社会というものの特質を無意識に浮かび上がらせたということです。言語化しづらいのですが、作家、画家、作曲家、政治家、俳優、といった当時の有名人(ちなみに写真集に載っているのは、ほとんど現代の我々も知っている有名人ばかり)の肖像写真を撮る作業の中でその個人を個人たらしめるある特質を備えたような人物像として写真に残しているのです。わかりづらいですね。つまり・・・例えばナダールの写真集の中でも女性ばかりを集めた写真集を眺めてみたのですが、ここにある人々は固有名は記録されているものの、現代の私がそれを見た時にまるで何も呼び起こされるものがない、ひっかかりがない、たんなる美しく着飾った19世紀後半の女性たち、という範疇でしかとらえられないものだったのです。古い外国の絵葉書によくあるようなイメージの写真。(これはこれで当時の女性がどのように演出して撮らせているのか、などなど考えさせるところが多くあり面白いのですが。)
ところが、ボードレールやらアレクサンドル・デュマやらドラクロワ、マネ、コロー、ドーミエ、ドレ(遺影も)、ベルリオーズ、ロッシーニ、コクトー、プルースト、ギゾー、などそうそうたる面子がめくってもめくっても出てくる写真集を眺めていると、とにかくその人物に対する色々な引っかかりや興味、すなわち個別性が、見る者に突き付けられている気がしてくるのです。必ずどこかで見たような写真があるのです。みんなナダールが撮ったんですね。
それまではカリカチュアという手段で有名人の個性を誇張して表現していたものが、写真という技術が生まれたことで誇張をする必要もなくその人物の個別性があらわにしてしまうことが可能になったのでしょう。それはいわば顔の圧倒的な存在を焼きつけることでした。その顔は社会的に侵食し、我々の記憶まで入り込んで様々に書き換えをしていきます。そう考えると我々は写真という実在する物体を通じても結局は己の思い込みや印象を微調整するほかない、あやふやな存在なのだなあと思わざるを得ません。
続いてはアウグスト・ザンダーです。以前の明大講義にも出てきました。この本では20世紀初頭のドイツの一地方ではありますが、あらゆる階層の人物、さまざまな職業の人々、家族、夫婦、若者たちといった老若男女を問わず全ての人たちを写真に納めようと試みた写真家として取り上げられています。そこにおぼろげながらも立ち現れてくるのは貧富の差、都市部と農村部の差、有名無名の差を超越したある民族の「貌」といいますか、ひとつの風景といいますか、無数の写真を集めることでそこに醸し出された空気を、風を感じられる気がします。ナダールが撮った同時代の人々の写真とは全然異なります。どこが、といわれるとこれも言語化しづらいのですが、現代の私がそれらの写真を見てもナダールのような記憶を引っ掻き回すようなことは全く起こらず、むしろ数を通してその固有の時代をその固有の場所を新しく知ることが可能であるような(錯覚をするような)気がしてくる写真なのです。といっても単なる記録写真に留まりません。字義どおりの意味での「民族の記憶」を再現させられているような気がするのです。
しかし、ザンダーの写真集が近場の図書館には無かったのでこの本に収録された小さなものしか見ていません。ちゃんと見てからもう一回考えてみたいところです。(ちなみにDVDが出てるみたいなのですが、これって写真集なんでしょうか?それともザンダーの生涯を辿ったドキュメントか何かなのでしょうか?それによって購入しようか悩んでいる最中なのですが。誰か情報求む。)
最後はアヴェドン。まったく知りませんでした、この写真家。ショッキングな肖像写真というのでしょうか。例えば最後の奴隷といわれるウィリアム・キャスビー。あるいはカポーティの『冷血』のモデルとなった殺人犯のディック・ヒコック。そしてその父親。ナパーム弾の犠牲者。死期が近づいた自分の父親。生々しいというか現実の生活の中からは目を背けたくなるような被写体を撮っている写真家です。ここではパフォーマンスという言葉を使っていますが、彼の撮る肖像写真から圧倒的に語りかけてくるものをそこに封じこめ、不穏な気配を刻み付けて、見る者と対峙しています。それは有名人の肖像写真も無垢な少年の写真も同様です。
アヴェドンの写真はそのパフォーマンスをもって何かを訴えたいとか、写真家はこれを意図しているのだとかいう言説にはまるで相反しているような種類のものだと思います。撮る側の人間の気配は極力排している気がします。にもかかわらず見る側の人間に引き起こすいいようのない感情は一体なんなのでしょうか。これが現代の写真家が写す肖像写真だとしたら、これは一体現代という時代のどういう側面を切り取っているのでしょうか。多木先生は悲観的な結論を記していましたが、もう少し時間が経たないと見えてこない問題なのかも知れません。ひとつ言えそうなのは、これらの写真が「撮る者」と「撮られる者」とそしてそれを「見る者」との間に生じるある種のコミュニケーションであり、それがどこか機能不全に陥っているようにも感じられるし、過渡期にも思えるということくらいでしょうか。
いやはやしかしこの新書の分量でこの内容の濃さ。さすがです。

思いのほか発奮させられたので、続けて我が家にあった多木浩二氏の新書をあらためて読み返してみようじゃないかと、続いて手に取ったのが『戦争論』。

戦争論 (岩波新書)

戦争論 (岩波新書)

  • 作者: 多木 浩二
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1999/09
  • メディア: 新書


これも20世紀末にでた本ですが、9.11以降に読んでもまったく問題ありません。恥ずかしながらこの本を読んでルワンダの虐殺を初めて知りました。(この前、テレビでルワンダでの加害者が被害者の家を建てることで罪を償うというプログラムを試みているのを見ました。それにしても殺されて埋められた人々を掘り起こしてそのまま記憶を風化させないために展示している風景は結構衝撃的でした。埋葬し直さないのでしょうか。死生観の違いなのでしょうか。それともそこで起きたことに正面から向き合うとあまりに異常な記憶だったせいでそうなっているのでしょうか。)
近代以降の戦争について考察し20世紀を総括する内容となっています。

それから『ヌード写真』。

ヌード写真 (岩波新書)

ヌード写真 (岩波新書)

  • 作者: 多木 浩二
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1992/01
  • メディア: 新書


この本も多岐にわたる話題と深い洞察が読みどころですが、私がうけたのはドイツに起きたヌーディズムに対し、ナチズムとの影響関係をふまえたうえで書かれた次の一文です。
「ヌーディズムという形をとった宗教的実践は、自らの文化あるいは宗教が性についてつくりだしてしまった罪の意識とのシャドウ・ボクシングのようなものだった。」
つまり禁欲が極限まで進むと宗教的ヌーディズムまで行き着いてしまうということ。なぜなら宗教的ヌーディズムの根本に、われらは性を克服した、だから裸でいられる、公開性交もできるのだ、という主張があるから、ということになるらしい。それを上のようにあっさり書いていたので思わず吹きそうになりました。

さらに『絵で見るフランス革命』。

絵で見るフランス革命―イメージの政治学 (岩波新書)

絵で見るフランス革命―イメージの政治学 (岩波新書)

  • 作者: 多木 浩二
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1989/06
  • メディア: 新書


これも良い本ですよね。絵解きフランス革命ではありません。当時、描かれたものから総体として浮かび上がってくるフランス革命。描かれたものは、すなわち多くの民衆の目に触れたものであり、それらが流通することで再生産される「革命中の現実」という空間があったのかもしれません。

最後に『20世紀の精神』の最終章、プリモ・レーヴィの『溺れるものと救われるもの』。アウシュヴィッツで生き残り、文筆活動をしてきた化学者は結局、自ら命を絶ってしまう(事故説もあり)。人間は悲劇から学び二度と繰り返さないという選択をすることができるのでしょうか。それとも人間は悪を繰り返す生き物なのでしょうか。そもそも悲劇を学ぶところからして怪しいものだと思ってしまう私ですが、たとえ学んだとしても状況に対する人間の無力さ、流されやすさというのもまた過去が教えてくれる事実であります。有名な監獄での心理実験もありましたしね。実験の中ですら人間は悪になりうるのですから。

20世紀の精神―書物の伝えるもの (平凡社新書)

20世紀の精神―書物の伝えるもの (平凡社新書)

  • 作者: 多木 浩二
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2001/02
  • メディア: 新書



というふうに予習だか復習だかわからなくなってきたあたりで、私がいつも楽しみにしている講義録がアップされた(「大蟻食様ストーキングメモ」を参照。以前、管理人の方にコメントをいただいたことがありました。以来よく見ています。講義録の公開は本当に大変な労力だと思います。大蟻食様の一ファンとして感謝しています。)ので読んでみましたら、ああ、行けば良かったと大後悔する内容でした。特に文化にも毒が含まれていて、他者を排除することに対して親和的、というくだりには私の中のもやもやが氷解しました。こういうことはテレビとかで見るいわゆる文化人はいいませんからね。すっとしました。

ところで多木浩二氏の生講義を何回か聴いたことがあります。私も若かったのであの独特の語り口に、最初はちんぷんかんぷんでした。(と、書くのも非常に恥ずかしいのです。)
もう一度、講義を聴いてみたいなあ。でもやっぱりわからなかったらどうしよう。

最後にブラッサイの写真集を借りたらとても良かったので紹介します。

ブラッサイ写真集成

ブラッサイ写真集成

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/08/24
  • メディア: 大型本


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