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『ダニーボーイ』島田虎之介 [漫画]

米ブロードウェイで活躍した一人の伝説的日本人俳優、伊藤幸男のたどった人生の軌跡を多くの人々の記憶を回想する形で描き出した漫画、とひとまず書いておこう。
その回想形式も一筋縄ではいかなくて、5000人を取り上げた助産師の引退パーティで会場に流れたBGMから思い出す「今までで一番大きなうぶ声」や、社史編纂の資料を提供するために引っ張り出したアルバムの中の一枚の写真から思い出される歌、小学校教師のあいまいな記憶の中の合唱コンクールで転校生が歌った素晴らしい独唱のこと、等々、それぞれゆるやかに繋がっているのかいないのか定かでない異なる場所、時間に生きている人々がそれぞれのやり方で回想するのだった。
このいくらか雑駁な感じで点描される人々の回想は、伊藤幸男の人生を時系列に沿って追い続ける。しかし最後にはこの雑駁さが、記憶に残る歌ーー「僕が歌ったあの歌」「いつものように歌った」歌がこの世界のあちこちに様々な形で残り、忘れられ、または時に思い出されてきたのかを、まざまざと浮かび上がらせることになる。伊藤自身も忘れてしまった歌がこの世界にどのように響き、散らばり、消え、残っていったのか。
そう、これは回想形式で一人の伝説的日本人俳優の人生を浮かび上がらせた漫画ではなかった。この漫画は、伊藤幸男の記憶を持つ無数の人々の人生を伊藤と対等に浮かび上がらせているのだ。決して不運な俳優人生と非業の死を迎えた伊藤幸男が主人公なのではない。第一話と最終話で閉じられる伊藤の最後の姿(それすら伊藤自身なのかはっきりと明示はされていない)、厳密にいえば無線から響き渡る歌声はまた、間に挿まれた六つの人生の根底に流れる歌声である。しかし、この歌声を永い時間をかけて記憶の結晶として美しく結実させ沈澱させたのはそれぞれの人生を生きる「彼女たち」だった。幸男の生の円環は閉じてしまったが、彼女たちの円環は未だ閉じていない。あぶくのように交わり必ず消え去る運命のこの円環は、誰もが描きつつあるものであり、そこには差別はない(幸不幸はあるかもしれない)。この差別のなさは一見無慈悲なものであるのだけど、こうして幾つかの記憶を奇跡のように結び付けて見せられると究極的には慈悲深いものであるような気がしてくるから不思議だ。
最終話におけるこの統合と拡散のカタルシスは、これまでのシマトラ作品にも共通しているものだけれど、浮かんでは消える光芒のような一人一人の人生の交錯を目の前にして、私は一片の哀しみと一片の喜びを感じつつ深い満足を味わったのだった。



ダニー・ボーイ

ダニー・ボーイ

  • 作者: 島田 虎之介
  • 出版社/メーカー: 青林工藝舎
  • 発売日: 2009/08
  • メディア: コミック


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