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『よつばと!』あずまきよひこ [漫画]


よつばと! 8 (8) (電撃コミックス)

よつばと! 8 (8) (電撃コミックス)

  • 作者: あずま きよひこ
  • 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
  • 発売日: 2008/08/27
  • メディア: コミック



友人のブログで『よつばと!』が何がどう凄いのか?というので、いっちょ考えてみるか!ということで以下の文章を書いてみた。おもに『よつばと!』が描いてきたもの、あるいは描いてこなかったものについてこれまで意識下で考えてきたことを言語化する試みである。これが友人に対する回答になっているかどうかは心許ない。というか、自分が一度はきちんと言語化しないと気が済まなかっただけである。
では・・・

かつて漫画批評家の伊藤剛氏が行った作者インタビューの中で、伊藤氏の友人の話として、この物語は実は小岩井氏とジャンボが(もういなくなってしまった)よつばを回想しているものなのではないか、という予測を当の作者を前に披露している(ユリイカ2006年1月号)。
作者は(笑)で軽く受け流していたが、そういう妄想をかきたてるくらいこの漫画の持つ解釈への間口は広い。むしろ「我こそ漫画読みだ」と自負している人ほど、こういった予測が自然に浮かんできてしまうのではないだろうか。つまり、それまでの漫画読書経験から容易にありそうなストーリー展開への派生を参照し想定してしまう読者ほど、読みへの欲望(ひいてはそれがこの漫画自体への求心力となりうるものなのだが)を刺激されてしまうのだと思う。
ところが、逆説的だがそういう予測や一面的な解釈や「お話」への回帰こそ、この『よつばと!』が忌避しているものである。もう少し言い換えると、従来の漫画が駆使してきた(それこそが商品としての価値だという考えに基づく)「物語へ読者を引き込むためのストーリー展開」や「次回への引き」や「あっといわせる主人公の能力とか秘密の出自」(これらはすべて同じ意味だともいえる)などなどに対してすべて肩すかしをくらわせているのである。
もう一歩だけ踏み込んでみると、読者が物語に引き込まれると(作り手側が)考える安易な手口として、例えば「よつばの出生地」「よつばの本当の両親の消息」「よつばと小岩井氏の出会い」「街へ引っ越してきた理由」などを話が進むにつれて徐々に開示していく、という方法が考えられるだろう。しかし作者はそれを決してやらない(上記のインタビューでも設定を決めていないと発言したり、登場人物の背景は今後も描かないと断言したりする)。
そういった大多数というか安直というかやり尽くされた「手法」をこの漫画は採らない。この「手法」を選択してしまうと、ストーリー展開は謎解きの要素を中心にドラマティックに変化するのだろうが、逆にその重力に捕われてしまい逃れられなくなるだろう。こうした劇的な動きを作者は望んでいないのである。
その代わりに、この漫画の世界をまるごと読者に差し出すことを選択したようなのだ(うまい具合にそうした読者の脳裏に浮かぶ「お話」への欲望をくすぐる程度に匂わせたりはするのだが)。
結果的に読者はこの世界の中の登場人物の一人として開かれた門戸から入り込むのだが、そこでは読者は読者という特権を与えられることがない。教えられる情報はこの世界の登場人物が知りうるものに限られるし、見られるものや話されることにもある一定の制限が設けられるのである。

この前の「BSマンガ夜話」の中で「あれは『Dr.スランプ』を直球で描いたのだ」という話があったが、私もよつばはアラレちゃんだとずっと思っていた。第1巻での小岩井氏の台詞「よつばは無敵だ」にも象徴されている。
アラレちゃんは可愛い眼鏡の少女姿をしているが、その実強大な力を持つ「めちゃんこつおい」ロボットだった。『Dr.スランプ』のストーリーはその設定によって牽引される部分もいくらかあった。小さくかわいい少女が建物を軽々と持ち上げて地平線の彼方へ投げ飛ばし、なめてかかった相手は目玉が飛び出し鼻水がたれあごがはずれるのに気付かないくらい驚愕する。そのギャップを読者は面白がった。アラレちゃん本人は無自覚で物を破壊するし、物事の本質をずばずばと指摘して目の前の状況を無化することで、いわば彼女が通ったあとは草一本残らないほどの壊滅を引き起こしていたのである。(それはそれで批評的な設定だった。物事の尺度が「つおい」か「つおくない」かで測られることに読者はある種の痛快さを感じていたに違いないからだ。「好き/好きじゃない」とか「良い/悪い」などの単純な二元論を揶揄していたとも読める。)
しかし、よつばはアラレちゃんではなかったのだ。それは第2巻第13話で覆される。
そう、よつばがみうら扮する目玉人間に迫られて真剣に大泣きする場面だ。無敵に思えたよつばが弱みをみせた日。「あーあー」と泣くよつばを読者は(みうらと同じく)はたして予想しただろうか。
私はあそこで「よつば=アラレちゃん」説を捨てざるをえなくなった。当然、よつばは完全無敵ではないし、状況を焦土化しつくすほど傍若無人なのではない。この漫画はその設定が面白いわけではないのだ。
よつばが目玉が怖いという事実も、例えばドラえもんのネズミ恐怖症のように完全なる設定として扱われるのではない。なぜ目玉が怖いのかという理由すらはっきりしていない。おそらく理由は決められていないだろう。またドラえもんのように話の端緒にもオチにもこの設定が使われることはないだろう。そしていつかきっと知らぬ間に理由もなく説明もなく克服されてしまうだろう。
ところで、この大泣きした日の後も、よつばの無敵っぷりは健在である。しかし牧場に行く前日に熱を出して行けなくなった時にも、よつばは無敵どころではなく風邪にやられて寝込むしかなかった。都合良く熱が下がったり、それでも無理を押して出かけたりはしないのである。その判断は漫画の作者ではなく小岩井氏の判断に委ねられている。読者は都合良く熱が下がって牧場に行くことができたという「お話」を欲望しうる。しかし、その欲望には決して沿わないのがこの漫画なのだ。
「BSマンガ夜話」で夏目房之助がこの漫画を「(比喩的にいうと)回転のない直球だ」と発言していた。これには座布団を一枚あげたい。言い得て妙である。

さて、作画、コマ割り、構図などについてまだまだ書きたいことは山積みなのだが、いったんここで止めるべきだろう。
その前に、実際によつばと同じ年齢の女の子を子供に持つ「とーちゃん」として一言書いておくのも無駄ではないかもしれない。
よつばは決して本物の子供のような言動をリアルにするから面白い、のではないと思う。よつばはリアルな5歳児ではない。かなり似ているところもあり、絵や字の発達状況といった面は忠実に念頭に置いて描かれていると思う。しかしリアル5歳児の言動に忠実に描いたとしたら、ここまで面白い漫画にはなり得なかったこともまた事実だろう。
「BSマンガ夜話」に送られたファックスに多くあったのが「よつばみたいな子供が欲しい」とか「育てたい」とか「かわいい」とか「癒される」とかいう内容だったのだが、私と一緒にこの番組を見ていた妻は一言「よつばみたいな子供は欲しくないし、ああいうふうに育てたくない!」と言った。私も欲しいとは思わない。リアルな子供は、よつば以上にしんどい時がある。
あのよつばに体現される子供像こそが『よつばと!』最大のフィクションだ。しかし、よつばが実在の子供とはちがうことを感じつつも、漫画は漫画として大いに楽しむことができる。つまりこの漫画は、よつばがリアルだから面白いのではなかった。(テヅカイズデッド風に云ってしまえば、よつばが子供のおばけすなわち「キャラ」であるからだ。・・・この解釈、正しい?)
以下にいくつか理由を書こう。
第一に、よつばは実在の子供よりもわがままではない。むしろききわけがよすぎる(うちの子が異常にわがままであるという可能性もぬぐえないが、たぶんそうではなさそうだ。大抵の5歳児はもっともっと執拗にわがままだ)。
第二に、よつばには子供っぽい独占欲が感じられない。言い換えるととーちゃんに対する甘え方が違う。ま、そのあたりは「BSマンガ夜話」でも疑似家族という点で少し触れられていたが、とーちゃんは本当の父親ではないし、父親役を演じているわけでもない。だから甘え方ひとつとっても親子関係(疑似であっても)の中の子供の甘え方とは異なっているように感じる。そういえばよつばは小岩井氏のことを「とーちゃん」と呼ぶが、これまで自分のことを「とーちゃんのこども」という言い方で説明していないのではないだろうか。「こども」という概念に気付いていないのかもしれないが。
第三に、よつばは前述したような「お話」を喚起するような己の背景に引っ張られることはまるでないが、シチュエーションの中で進行するギャグには引っ張られて従属している。きわめて自然な形で参加しているが、ギャグが生まれてくる場面で唯一、作者の存在が感じられる(でも作者は別に作者の存在をひた隠しにしているわけでもなさそうだけどね)。
よつばがよつばのキャラを維持し続ける限り、この漫画は漫画として成立する。よつばが成長して普通の常識を携えた分別のある少女になってしまったとしたら、この漫画は続けることができなくなると思う。おそらくその時には最終回を迎えることになるだろう。
だが、このよつばをよつばたらしめているこのキャラは、よつばが経験を重ねるたびに消耗し失ってゆく運命にあると思われる。すでに失われたものもあるだろう。個人的には小学校に入学して普通に授業を受けているよつばの姿を今のところ想像できない。もしもそれを逸脱することでよつばがよつばであるならば(その逸脱は現在は周囲に見守られて受け止められる範囲の逸脱なのだが)、その時の逸脱は周囲のフォローがきかない社会的な問題につながっていってしまうからだ。だから『よつばと!』は終わってしまうだろう。
しかし私はつい夢見てしまう。もしも、このよつばのキャラというもの凄く綱渡り的な「かたち」をその先も維持していくことができたらならば・・・逸脱をしてもなお「お話」にとらわれず、かつよつばが(その時の)よつばたりうる魅力を保持できるという刃の上をつま先で歩くようなことができたとしたなら・・・あずまきよひこという漫画家はこれまで以上にとてつもない革新をやってのけることになるだろう。その時に漫画は新しい段階へと昇ることになるだろう。どうか夢を見させて下さい。

つい先日発売された8巻ではすっかり秋めいてきた「よつばと!」世界だが、ここにきて時間が少しずつ飛びはじめている。
1話から35話まではほぼ1話が1日だったのが、36話から9月1日(月曜日)になり、続く37話から55話までの18話では10月中旬(おそらく13日)まで飛んでいる。およそ2日に1回のペースだ。これが今後も続いていくのか、それともまたいつかの時点でペースが早まるのかはわからないが、いずれにせよさりげなく変化は訪れている。
毎回目が離せないが、これからも全く目が離せない。次巻が出る頃には、うちの子もすっかりよつばの年齢をこえてしまうだろう。よつばの一年が経つ頃には中学生くらいになっているような気がする(そこまではいかないか)。
あずまさん、がんばってください。
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