『香水』パトリック・ジュースキント [小説]
最近読んだ小説の中では、ダントツに夢中になった話です。
18世紀のフランスを舞台に、一人の特異体質の男を主人公にした物語です。
特異体質というのは、つまりその男グルヌイエは生まれつき無臭の人間だったのです。自分の体から匂いが全くしないのです。それが原因で乳母から嫌われ、修道院に預けられます。孤児院で育ったグルヌイエはその才能を花開かせます。その才能とは、匂いに以上に敏感で、どんな匂いでも嗅ぎ分けられるというものでした。暗闇でも、部屋のどこに何があるか、隠されているかがわかるほどの匂いの天才だったのです。
この決して美しくはない醜男のグルヌイユが皮なめし職人の徒弟になった時から物語は始まります。まるでわらしべ長者の昔話のようなトントン拍子で、皮なめし職人の徒弟から香水屋の調合師へと転身します。鮮やかな、そして感動すら覚えるその転身劇でもう私はグルヌイユの生き様に惚れてしまったのでした。
ありとあらゆる香水をつくり出せるグルヌイユ。世界中のすべての匂いを嗅ぎ分けることができる彼は、自分の体の中に匂いのインデックスを整理しはじめるのです。貪欲に、思うがままに、無造作に。
そんな彼がある最高の匂いに出会ってしまいます。その匂いのために、彼は犯罪を犯しますが、それとひきかえに、人生の目的を見いだします。同時に彼は自分の内にある雑多な匂いのインデックスを、その目的にかなった方法で統べるための序列を見いだすのです。この辺り、作者の創作の秘密を垣間みるようで読んでいて動悸がしました。
その後、人生の目的のために独立したグルヌイユは旅に出ます(パリで橋が落ちたところは笑いがこみあげて吹き出しそうになります)。その旅はひたすら人のいない場所を求めて山中を歩く旅でした。何年もの間、大自然の洞穴の中で、朽ち果てる寸前まで隠者生活をしますが、啓示を受けて再び人里に戻ってきます。
そこから後半にかけてはグルヌイユの人生をかけた壮大な計画が始まるのですが、それは読んでみてのお楽しみにして下さい。
あらすじを知っていても、読んでみたら絶対面白いですから。
最高の結末が待っています。悪趣味と思われる向きもいるかもしれませんが、美しくも衝撃的な最後です。
果たしてグルヌイユは断罪されたのか、赦されたのか、それとも逃げ切ったのか。
それは読んだ人にしかわかりません。
匂いと云うのは、興味深いものです。それは五感の中でも表立って主張する感覚ではないものの、過去の記憶を思いがけなくもたらしたりするものです。この嗅覚だけで生きて行く醜男グルヌイユにいつしか思い入れを強くしている自分に気づき、なんてこった!と驚愕するのでした。
ついつい書き過ぎてしまいましたが、当分のあいだ、私の中で不動の一位を占めることになりそうです。これが80年代に上辞されているのにも驚きです。
同じ作者の『ゾマーさんのこと』の十倍好き。
『ハウルの動く城』 [映画]
フィルムがどうしても欲しくて買ってしまいました。4枚組!!うう、出費が・・・
だって宮崎駿とメビウス対談も観たかったんだもん!(だもん!て。)
フィルムは、カルシファーが目玉焼きを焼いているシーンでした。なんだか嬉しいです。実際に映画館で使用されたフィルムがパッケージされているのですから。わけもなく楽しいと思いませんか、こういうの。(糸井重里はようやった!)
さて、『千と千尋の神隠し』と比べると、映画の外(マスコミの取り上げかたとか)での盛り上がりが少ないのは確かでした。
しかし映画そのものは、私はこっちのほうが百倍好きです。
映像も。話も。『天空の城ラピュタ』を超える名作だと思います。
ラストも最高!
いやー映画ってほんとにいいものですねえ。
それではまた来週。
・・・とやると、私の映画の師匠(某私大教授)に怒られるので、何が良かったのか、もう少し真面目に書きます。箇条書きで。(もちろんネタばれあります)
まず、監督が前作みたいに「子どものために作った」とか「千尋に苦労をさせる」とか発言しなかったのが良い。前作は確かに説教臭さが充満していた。今回は「老人のためのアニメ」という発言はあったが、それだけだった。
それから、前作の良さは、大体がいくつかのシーンにおける情景の美しさに依拠しているところが多かった(なぜ美しいのか、が不明瞭だった)が、今回は情景と物語のバランスがぴったりだった。つまり、情景が美しいことが物語の美しさとからみあっていた。
主人公のソフィーが老婆だというのが良い。それだけで過去の作品への自己批判となっている。
また、マルクルは自分の意志で少年になったり老人になったり出来るが、ソフィーは不可逆性の象徴として、自分の願望(ただたんにそうしたいと思うこと)だけでは行き来できない。しかし逆にいうと、自らの意志(そうなろうと思うこと、もしくはすでにそうなっていること)でしかソフィーは若返らない。
荒れ地の魔女が絶対悪でないこと。また魔女が呪いの源泉ではなく、呪い自体が主体性を持っていこと。
荒れ地の魔女をどうにかすれば呪いが解けてめでたし、めでたし、という方向性を持った物語ではないということ。
ソフィーが城で生活をしようと心を決めた時から、その主題は深く潜伏して、今度はハウルとの関係を構築する(ハウルの謎を解こうとする)主題が浮かび上がってくる。簡単な恋愛劇。そして、物語の途中にも関わらず、「愛しているの」という言葉が出てくる。つまり、愛が最後の主題ではなかったということ。「愛している」の一言でめでたし、めでたし、という方向性を持った物語ではないということ。
慎重に安易な落としどころを回避しつつ、物語は佳境へ。
ハウルの不在と城の崩壊。監督はここで「あえてハウルの内面は描かない」という発言があった。
ハウルが敵と戦うシーンは描きようによっては映画のクライマックスにもなる。普通はそうする。しかし、これは描かれない。この映画には描かれない事が多すぎる。しかし、描かれない事がらが映画をひそかに豊かにしている。
この映画のクライマックスは、ソフィーが城を初めて掃除するシーンと洗濯物を干すシーンと引越しをして模様替えするシーン、ようするに家の中で起きる事が多い。
最後のクライマックスはハウルの遠い記憶の中で起きる。流れ星のシーン。しかし、このシーンは物語の起点となる重要な場面であり、物語の謎解きが明らかになる場面でもある。最初にして最後。
最後のクライマックスなのに、それはもうすでに終わってしまったこととして衝撃的に描かれる。世界に穴があき、ソフィーは吸い込まれる。「世界の約束」を叫びながら。
荒れ地の魔女はあいかわらずしぶといし、わがままだし、ハウルに執着している。
マルクルはもう老人の姿にはならないし、おそらくはもうなれない。ソフィーに「ぼく、ソフィーが好きだよ」「ここにいて」といって以来。(記憶が曖昧なので細かい違いがあります)
カルシファーは最初からなにも変わらないが、ハウルとの重大な契約が終わり、自由になる。
ソフィーは呪いが解けたのか解けていないのかわからないが、それはどちらでも良くなってしまう。
ハウルは少年の自分の心臓を引き受ける。魔法の力は消えたのだろうか?それもはっきりとはわからない。
わからないことが多く残されたまま、映画は終わる。それでもきちんと終わる。見ている私も終わった気になる。もっと見ていたいけれど、ここで終わりなのだと納得しながら。
最後の最後で、カブの魔法も解ける。これは完全にやられた。そうくるかー!!!
いわばこの映画のオチである。カブは完全にトリックスターである。ドタバタ劇を模して、オチる。爽快すぎる。
この物語は重くないですよ、こんなものですよ、世界は、作者も観客も、軽やかなのですよ、といわんばかりに。
そして、もう一度この映画を見ると全部、すっかり語られている事に気づくのである。
いやー映画ってほんとにいいものですねえ。
それではまた来週。
アイルランド憧憬 『魂の大地』ドーナル・ラニー [愛蘭]
(以下の文はウェブ上の別の場所で掲載したものの再録です)
アイルランドという国が好きです。
そこは、ユーラシア大陸をはさんで日本とまるで正反対に位置する、最西端の島国です。なぜこの国を好きなのかは、自分でもわかりません。もしかしたら、まったく知らない国だからこそ自分の好みの印象を投影しているだけなのかもしれません。
妖精の故郷。常緑のエメラルドに輝く島。
不思議な巨石群が残す古代文明の遺跡。
荒涼とした大地とそこを愛して生きている人々。
人々は音楽や詩や昔語りを日常生活に欠かさない。勤勉で素朴で愛想がよく、情に厚い。
以上は日本に住む私が、普通にこの国を知ろうとすると当たり前のように与えられる印象です。
しかし、やはり避けて通れないのは英国との歴史です。絵空事に思えるくらいの昔の侵略から始まり、独立までの長く苦しい道のり。絡まりあった人と人の憎みあい。血で血を洗う非情な争い。かつてはテロといえば、この国とともに語られました。
それから、前々世紀の大飢饉による大量の死者。貧困からの脱出を夢見たたくさんの移民達。脱出できずに土地にしがみついて生きた人々。苦しい歴史を抱えていたアイルランド。
しかしこの国は、近年めざましい高度成長期を迎えているそうです。「ケルティック・タイガー」と呼ばれ、欧州のなかでも今もっとも勢いがあるといいます。
私はアイルランドに住んでいません。アイルランド人でもありません。
公的機関において国交に携わっているわけでも、ましてや一市民として橋渡し的な草の根活動をしているわけでもありません。
アイルランド人の友人がいるわけでも、親がアイルランド人であるわけでもありません。
フィドルやティンホイッスルやバウロンやイーリアン・パイプなどの楽器も弾けません。
アイルランド語(ゲール語)もわからず、歌ひとつも満足に唄えません。
ただ、アイルランドが好きなだけ。そして、あの国の音楽を聴くのが好きなだけ。
そういうただの人間なのです。
20世紀の終わり頃にあったケルト文明ブームも手伝って、あのケルト=癒しという図式が出来上がりました。
ケルト音楽ブームはヒーリングやニューエイジと同列に扱われる事が多くなりました。けれど、それを抜きにしてこのブームの牽引は不可能だったと私は思っています。
やがて米国音楽の源流として、カントリー音楽との血縁関係があきらかになり、別の側面での注目を集め始めました。実際、アイルランドでは米国カントリーが大人気なのだそうです。
そもそも私があれこれ音楽を聴くようになったのはザ・ビートルズの影響です。
ジョン・レノンとポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンは、ルーツを辿るとアイリッシュ系なのだそうです。ザ・ビートルズばかり聴いていた二十歳の頃。
オリジナル盤だけではあきたらず、他のアーチストがカバーした曲やトリビュートアルバムなどを探していた当時のことです。ある日、一枚の洋楽クリスマスソングの編集盤を買いました。そこにはジョンとポールがソロ時代につくったクリスマスソングが入っていました。ほかにも様々なアーチストが収録されており、私は彼らの曲に興味を持ちはじめたのでした。
彼らとは、ケイト・ブッシュやクリス・デ・バー、スティーライ・スパンなどです。(ケイトは母方がアイリッシュだそうです。)
その頃に出たのが、ケイトも参加している『魂の大地』というCDでした。そして、これが運命的な出会いとなったのです。
このCDはドーナル・ラニーという名プロデューサーが全面的にバックアップした作品です。アイリッシュ系音楽家による、アイルランド音楽の響宴ともいうべき素晴らしいものでした。
私のアイルランド音楽遍歴は、その時から始まったといえます。
(再録ここまで)
- アーティスト: オムニバス, ボノ, アダム・クレイトン, ポール・ブレイディ, モイア・ブレンナン, ケイト・ブッシュ, エルビス・コステロ, ニール, ティム・フィン
- 出版社/メーカー: 東芝EMI
- 発売日: 1996/06/19
- メディア: CD
新婚旅行でアイルランドへ渡った時はこのCDを持って行きました。どうしても本国で聴きたかったのです。アイルランドでこの音楽がどう響くか知りたかったのです。
実際にアイルランドで聴いたら、感動もひとしおでした。この音楽で想像したアイルランド像をまったく裏切りませんでした。嬉しかったことを覚えています。
鳩山郁子さん個展「BRANCH SCHOOLDAYS〜リンデン坂上スクール目白分校展」 [漫画]
鳩山郁子さんの個展に行って来ました。
場所は新宿区目白のとある一軒家。
本当に普通のお宅の一部を使って、鳩山ワールドをつくりあげているのです。
お庭に入った瞬間から、もう鳩山さんの漫画の世界。
灯籠、古い日本家屋、机、椅子、蚊取線香・・・。
許可をいただいて、お庭の写真をちょっと撮りました。一部こんな感じ。
もともとここは雑貨屋さん(「cocoa de co 」ギャラリー)なのだそうですが、とても雰囲気のよい場所でした。
展示の内容は、鳩山さんの名作『青い菊』所収の「Un Eatable sandwitches 〜あるいは藍晶石譜〜」に出てくる、リンデン坂上スクールの分校を再現するというコンセプトで、絵やオブジェ、凧などが所せましと充満していました。
あいかわらず、私の好きな世界がそこにありました。
午前中に一度行った時は、まだご本人が来ていなかったので、一旦お昼ごはんを食べにいきました。
その後、妻の提案で、途中でガラス瓶を入手し、先日行った伊奈の薔薇園でこども1号プーが拾ったドングリをその中に入れて、再び会場へ。
次は鳩山さんとお会いすることが出来ました。
五年以上前の渋谷の個展でお会いして以来だったので、少し緊張もありましたが、なんと鳩山さんは私を覚えていて下さったらしく、名前を呼びかけられました。ものすごい感激。
鳩山さんは五年前となんらお変わりのない美しい姿で、優しい心遣いでおもてなしをされていました。
五年間で2人も増えたこどもをみて、かなり驚いていましたが。たははは。
ガラス瓶入りのドングリをプーの手からお渡ししたら、喜んで頂けました。ただのドングリですが。
帰り際に、こどもにお菓子までいただいて、うれしかったー。
静かな住宅地の静かな個展の静かなひとときに、こどものわめき声が交じって、他の見学されている方が不快にならないか、場の雰囲気をぶちこわしにしやしないだろうか、とびくびくものでしたが、皆様、嫌な顔ひとつせずにいてくださったので、本当に感謝するばかりです。
この時流れていたBGMはグレン・グールドのバッハ、ゴールドベルク変奏曲(だったかと)。これは1回目の録音でしょうか。ゆっくりだったので。うちには2回目の録音しかありません。
ところでうちのこども2号は、鳩山さんの漫画にでてくるシャーロット・リンという丸々したキャラに似てるということで同意が得られました。シャーロット・リンは美形バージョンもあるのですが、丸々バージョンも可愛いのです。ほっぺの具合がそっくりで・・・
新作『シューメイカー』にサインをいただきましたが、シャーロットのイラストまで描いて下さいました(私の名前でいただきましたが、後で考えたら、この本は妻が買ったものでした。すまぬ。ゆるせ)。
ということで、こども2号はシャーロット(またはシャルル)と名付けることに(勝手に)しました。おやばか。
二人の子を連れて行った大変な遠出でしたが、嬉しいことばかりでした。
なんだか元気がでました。
がんばるぞー。
追記
その後日、なんと会場の庭に水琴窟があることが、鳩山さんのHPに書かれていました。
も、もう一度行きたい・・・。
講談師と行った妖怪ツアー その4(終) [旅行]
続きです。
於岩稲荷です。ほとんど向かい合って二つの神社があるのです。
なぜ、といわれても、二つあるのだとしかいいようがないのですが。
一つは於岩稲荷田宮神社。こちらは都の指定を受けた旧跡です。
ところが、このはとバスツアーに出かける直前の新聞に「都指定の旧跡は根拠が乏しい」として、この田宮神社も見直しの対象に挙げられていたのです。人気のはとバス怪談ツアーのことも記事になっていました。なんともタイムリー(?)な話題です。
当然、多田先生もその話をご存じで、神社の前で云っておられました。
しかし補助金が支出されているわけでもなく、都が長年に渡って御墨付きを与えているわけですから、いきなり根拠がないからといって指定をなくすというのは暴論だと思います。
というか、そもそもお岩さんの物語もみんな作り話だとわかっていて、それを江戸時代から庶民が楽しんで来ていたのだし、それを嘘だからといっていまさら「根拠ないから」というのも不粋ですよね。なんとも心に余裕が無い感じがします。
この田宮神社は、こんなに大人数でなく一人で来てみたい所だと思いました。
もう一つは御岩稲荷陽運寺。縁切りの絵馬がありました。ここは大勢でわいわい来た方が楽しいかもしれません。
さてさて、次は怪談ツアー最後の地、将門塚です。
将門の首が京都から飛来して、この地に墜ちたというまことしやかな伝説。
私は、小学生の頃にその伝説を聞いてから、ずっと将門塚に行きたいと思っていました。だから、長年の夢がかなったわけです。
ビル群の中の、本当にわずかな空間に将門塚はありました。うっそうと緑が繁る静寂の空間。
蝉の声、そよ風、木もれ日。
そこに将門塚はありました。
敗戦前までは石碑の背後に塚があったということです。
今は、四方をビルに囲まれています。
ちょうど背後にあたるビルは工事中でした。
近くの交差点には、標識が立っていて「気象庁」「東京消防庁」の下に「将門首塚」とあるのが妙に不思議でした。
そして、はとバスツアーも終点の新宿駅に向かって、黄昏の街を進んで行きました。
講談師の弟子としての裏話や、苦労話などを聞きながら。
多田先生と東雲騎人くんの最後の挨拶の時、
「全生庵の特別展示の、あの、なんだっけ絵師の名前・・・」という多田先生に東雲くんが
「伊藤晴雨?」と応えると、待ってましたとばかりに多田先生のボケ(?)、
「いとうせいこう?」
あまり受けていなかったのは伊藤晴雨を知らない人が多かったから?それともいとうせいこうが?・・・真相はわかりません。私は思わず吹いてしまいました。
こうして、一日がかりのはとバス怪談ツアーは終了しました。
運転手さん、バスガイドさん、講談師さんにお礼を告げて黄色いバスを降りました。
東雲騎人くんから最後にとどめの一言。
「一番大事なことですが、これは『妖怪学入門』講座で企画したものです。ぜひ、受講していない人は御参加ください」
・・・このブログをご覧になった方は、どうか受講してみて下さいね。『妖怪学入門』、蒲田教室(多田克己先生)と錦糸町教室(東雲騎人先生)が待っているはずです。
それでは長々とおつきあいありがとうございました。
以上、講談師と妖怪研究家と妖怪絵師と行く怪談ツアーでした。
おそまつ。
講談師と行った妖怪ツアー その3 [旅行]
続きです。
自由散策の時間も終わり、バスに戻る私とT沢くん。二人は走っていました。このうだるような暑さの中を、です。天ぷらもまだ完全には消化しきっていません。しかも、さっき仲見世で二人で揚げ饅頭を食べたばかり。(ああ、何をやっているんだか。)
すべては私のせいでした。私が時間15分前に「コンビニへ行きたい」と云ったのです。そして、コンビニで買い物をして店を出たら、もうあと五分しかない、という事態に追い込まれたのでした。
仲見世を走りました。いろんな人の迷惑になったはずです。その節は、すみませんでした。
そしてバスに到着した時には、我々はびっしょり汗だくでした。T沢くんは早速役に立つ、といってさっき買ったばかりの手ぬぐいで汗を拭いています。私はバスに置きっぱなしにしたペットボトルの清涼飲料水を飲もうとしました。ところが・・・
熱いんです。飲み物が。バスが止まっている間は当然空調も切れている訳で、この真夏日の一番暑い時間のまっただ中に置かれたペットボトルは、おそらく40度を超えていたことでしょう。
ところで、バスの出発時間になっても多田先生や東雲くんらが帰って来ません。五分経過、ようやくみんな戻って来ました。どうやら、かき氷を食べに10人くらいで店に入った為にかき氷を出す時間がかかってしまったらしいのですね。
しばらくして、多田先生と東雲くんの「ペットボトルが熱い」という声が交互に聞こえて来ました・・・。
気を取り直して、次の行く先は谷中の全生庵です。ここでは三遊亭円朝の幽霊画を公開していました。その前に、講談師さんから山岡鉄舟と円朝の厚い友情の話(鉄舟の臨終の席で円朝が乞われて落語を一席披露して、死に間際の鉄舟だけが大笑いだったとか)などを伺って、これはこれで面白いものでした。講談師さんも浴衣で汗だくになりながらの熱弁です。私も少し頭がくらくらするほどに、日射しが強烈でした。
そして待望の幽霊画です。しかも今年は2002年に亡くなった柳家小さんの所蔵していた絵も特別公開だそうで、いやがおうにも期待が高まります。
貴重な幽霊画を見ながら、近くにいた東雲くんと話しました。
「この絵、いいねー」「やっぱり巧いですね」とか
「あ、小幡小平次だ」「ほら、覘いてますよ」とか。
妖怪絵師、東雲くんにとっては見なれたものもあったのでしょう。しかし小さん秘蔵の伊藤晴雨の絵のシリーズを見てかなり興奮していました。いや、責め絵ではなかったのですが・・・
私もあの妖異を描いたシリーズは、なかなか良いと思いました。
さて、全生庵を出てバスに乗り込んだところで、私はおもむろに多田先生の御本『百鬼解読』(講談社)を取り出しました。
今回のツアーの裏目的は、家人に頼まれたこの本に多田先生のサインを頂く、というものだったのです。そして、時間もないのにコンビニまで買いに行っていたのが、サインをしてもらう為のサインペンだったのでした。おそまつ。
果たして無事にサインを頂けました。多田先生、ありがとうございました。しかも河童の絵まで・・・。家宝にします。
いよいよツアーも佳境にさしかかって来ました。
次はある意味でハイライトの御岩稲荷神社です。実は、恥ずかしながら私は初めて知ったことがありました。御岩稲荷神社というのは、ほとんど同じ場所に二つあるのだということを・・・。
これは有名な話だったみたいですね。私は知りませんでした。
と、いうところで今回はこれまで。次回は最終回の予定です。
講談師と行った妖怪ツアー その2 [旅行]
続きです。
まずは小塚原刑場跡です。
バスに乗ること約一時間、南千住駅に程近いところ。
実は私はバス酔いをするたちなので、少し心配していたのですが、まったく気分も悪くならずに乗車できました。講談師さんがこのツアーに来る人は一人くらい気分が悪くなる(もちろんバス酔いなどではない理由で)とおどすので、ちょっと精神的に「うっ」と来たくらいです。
バスから降りると、そこは真夏の炎天下。直射日光が厳しい。日傘をさす人もちらほら。目指す刑場跡までちょっと歩かなくてはならないのでした。しかし、これしきでへこたれることなどできない。できない。でも、暑い。(いやいや和服の方々のほうが大変です。)
現地に着いた人々は写真を撮ったり、拝んだり。30人以上の人間がお墓を見ながらうじゃうじゃと。こちらの光景の方が不思議度が高かったです、はい。
続いてまた少し歩いて回向院へ。回向院は刑場で死んだ者達を埋葬し、弔っています。吉田松陰の墓(碑?)や鼠小僧次郎吉の墓なども見学しました。普通にお墓参りに来る人もたくさんいて、ちょっと居たたまれなくなりました。(失礼いたしました。)
また、この刑場で処刑された者を解剖して杉田玄白、前野良沢らが『解体新書』を完成させたというレリーフもありました。あまりにもひっそりと。
ここで、私は多田先生に「先生はこちらは初めてですか?」という愚問を口にしてしまったのですが、先生は気さくに「いや、今回で4回目ですよ」と答えてくださいました。さすがに初めてなんて事はないでしょう。日本が誇る妖怪研究家なんですから!しかし、すぐに東雲くんに「4回目なのに写真撮るんですか?」と突っ込まれていました。写真は毎回撮るそうです。
こうして再び炎天下の中、妖しい団体はバスへと戻ったのでした。
講談師さんは今年のツアーで最も暑い、と云っておりました。
次は浅草で昼食、そして自由散策です。
天ぷら料理を「葵丸進」というお店で。なにやら老舗の雰囲気が漂っています。戦後に創業しているようですから、もう60年近く営業しているんですね。ここでもご予約は『妖怪学入門』様となっており、かなり面白かったです。妖怪御一行様という感じでした。
お料理もおいしく頂きました。T沢くんは、たまに昼食時にこの辺りへ来ると云っていました。そしてこのお店も「一度は来てみたかった」と云っていたので、はからずも?ここで念願が叶ったという訳なのでした。高いからもう来ないだろうとも云っていましたが・・・。
お腹がふくれたところで、一時間半の浅草仲見世の自由散策となりました。
多田先生と東雲くんが仲見世のなかで妖怪玩具を売っているお店があると云うので、二十名くらいがついて行きました。
妖怪玩具の一つは「お化け傘」という唐傘オバケみたいなミニ傘でした。結構可愛いので、購入者が続出。お店の人が倉庫まで取りに行ってました。
私はここで一人で自由行動へ。行き先は「染め絵てぬぐい ふじ屋」です。以前、浅草に来た時もここで手ぬぐいを買ったんです。その時に買ったのは、鯨(真黒い生地に白い目だけ描かれている)でした。今回は家人のお土産にと、金魚柄を買いました。
その後、一行が向かったのは鎮護堂、通称「おたぬきさま」と呼ばれるお堂でした。ここは浅草寺に住みついた悪戯ばかりする狸たちが「祀ってくれたら伝法院を火事から守る」と夢まくらに立ったので祀った場所だといいます。伝法院とは、浅草寺の院号(位の高い人に与えられる「何とか院」という名前のことだが、ここではお寺の本坊をそう呼んだらしい)です。
入り口の脇に何かの碑が立っていたので何だろうと気になっていましたが、あとで調べたらこれは幇間塚というもので、吉原の幇間(たいこもち=座敷で客をよいしょしたり、場を盛上げたりする男の職業のこと)の一門が建立したようです。なぜ幇間なの?と思いましたが、幇間のことを「たぬき」と呼んでいたことから、ここに建てられたのだそうです。なぜ「たぬき」と呼ばれていたのでしょうか?それは調査中です。
ここで、私とT沢くんは別行動へ。多田先生と東雲くん達はかき氷を食べに喫茶店へ入ってしまいました。私たちは、尾島硝子工芸をひやかしたりして仲見世へ戻り、T沢くんと再び「ふじ屋」へ。T沢くんは鯨の柄の手ぬぐいがいたく気に入った様で、購入していました。
それでは今回はここまで。この続きはまた次回です。
講談師と行った妖怪ツアー その1 [旅行]
先日、はとバスの企画で『講談師と行く怪談ツアー』に行って来ました。
なにせ私も、はとバスに乗るのは生まれて初めてでして、しかも最初のはとバス体験が怪談ツアーなんてものになるとは、思いもよりませんでした。
まずは日程をご覧下さい。
新宿駅から発車
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小塚原刑場跡 (南千住)
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浅草・葵丸進(天ぷら料理の昼食)
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浅草観音と仲見世 (自由散策)
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全生庵 (牡丹灯篭 円朝の墓 幽霊の絵)
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四谷・於岩稲荷田宮神社
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将門の首塚
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新宿駅
これが全行路です。
浅草はまあ定番としても、墓地、墓地、神社、首塚・・・。
これは・・・はとバス?
このミスマッチがとても良いと思いました(汗)。
それでは、なぜ私がこのようなツアーに行くことになったかを説明しましょう。
そもそもこのツアーのお誘いは、友人の東雲騎人くんからの一通のメールでした。東雲くんと初めて会ってから、もうかれこれ8年くらい経つでしょうか。その時の彼は、異常に巧い妖怪の絵を描く好青年でした。
今や現代の妖怪絵師として妖怪画集を出版したり、京極夏彦氏の本の表紙絵を描いたりする妖怪馬鹿のひとり(ご存知の方はご存知でしょうが、これはほめ言葉です)になりましたが・・・。
その東雲くんが、これまた妖怪研究家として名高い多田克己氏とともに、このはとバスのツアーに参加(乱入?)しようというのですから、これは参加しないわけにはいきません。
とはいえ、私ひとりでは心もとないので、興味のありそうな友人を誘ってみたところ、来てくれるというではありませんか。なんていい人なんでしょうか。
なぜかというと、この友人T沢くんは、台東区の下谷在住で職場が浅草という男なのですね。
今回の日程を送ったところ、ものごっつい近所だー!との返答が。自転車で全場所回れるかも、と。
すまぬのう。いつも突然、変なお誘いをしてしまって・・・。
さてさて、当日はJR新宿駅東口のはとバス三番乗り場で9時20分集合です。私が着いた時には東雲くんがJR出口のところで案内していました。彼は和装(袴付き)で妖しい雰囲気をビンビン発しながら立っているではありませんか。あいさつもそこそこに、近況など少し話したりして私は友人が着くのを待っていました。東雲くんとはほぼ1年ぶりです。
友人T沢くんが来て、時間も来たのでバス乗り場へ。
バスの中には、浴衣姿のきれいな女性達もいます。みるからに妖しい雰囲気の男性達もいます。なんてったって、ここに居る人の大半は読売文化センターの『妖怪学入門』の受講生なのですから。バスの入り口にもちゃんと『妖怪学入門』と貼り紙がありました。
あとで聞いたら、多田先生の蒲田教室が1/3、東雲くんの錦糸町教室が1/3、その他の友人関係が1/3だったそうで。私とT沢くんはもちろんその他の友人でした。(いや、私も昨年一回だけ受講したんだけどさ。)
バスが発車して、いよいよ怪談ツアーの始まりです。早速、今日のツアーに同行する講談師の田辺一凛さんがご挨拶。かなり『妖怪学講座』にとまどっていたようで、
「えーと・・・妖怪・・・について、お勉強なさっている皆様ということで・・・???」
世の中にそういう人種?がいることに驚いていたみたいでした。
私も実は、こんなにいるとは思わなかったですけどね!
というわけで出発なのですが、この続きはまた次回。
田舎幻想をぶっとばせ 『リトル・フォレスト』五十嵐大介 [漫画]
田舎幻想というものがあります。
田舎に暮らそう、そこには人間がもともと持っていたはずの生き方があるのだから。
日本人が脈々と伝えて来た昔ながらの生活の智慧があり、それを取り戻すのだ、と。
こういう田舎幻想が、私はあまり好きではありません。
よく、作家とか画家とか音楽家とか陶芸家とか市民運動家とかが島に住んだり、自給自足生活を始めたりするのを聞いたりします。そうすることの必然やなりゆきや事情があるのは十分承知しているつもりです。それに、そういう生活が楽しそうだと思っていることも白状します。
それにもかかわらず、どこかで嘘臭さを感じているのです。
自然に寄り添って生きるのが本当だ、とか都市生活は不毛だとか、そういう蔑視を感じるせいでしょうか。都市生活者を見下した目線があるように思われて仕方がないのです。これはひがみかもしれませんが。
けれど、だから私は田舎幻想というものが好きではありません。
のっけから変な話で恐縮でした。
さて、五十嵐大介の『リトル・フォレスト』です。
これは、街から逃げるように「小森」へ帰って来た一人の少女の田舎暮しの話です。暮らしといっても、ほとんどが「食べる為に収穫し、また食べる」場面を描いています。それがまたいちいち美味しそう(じゃないものもごくたまにあるけど)なのです。
季節を通して、少女=いち子は自活しているように見えるけれども、実は小森に根付いて生きることを迷っています。それを村の仲間にずばり言い当てられたりもして、口ごもったり。結局、流れやすい所に流れただけではないのか。そんな思いを抱きながら、一年また一年を過ごしていく。
いち子にとって小森での暮らしは厳しいものでもあり、楽しいものでもあります。一所懸命に生きるにはもってこいの場所なのです。しかしある時「その場その場を一所懸命でとりつくろって逃げているだけなのでは?」と問われ、彼女の心はまっぷたつになります。もちろんいち子自身もうすうす感付いていたことなのですが。
そして逃げて来たことを真正面から見つめようと決心するのです。
物語の最後はみなさんに読んで頂くことにします。いち子の着地点が最善だったかどうか、私にはわかりません。
しかし、それはいち子が決めたこと。その一点においては何もいうことはありません。人の生き方に疑いや否を唱えることは簡単に出来ますが、その資格は誰にもないはずです。
誤解の無いように一応云っておきますが、この物語の終わり方はとても清々しいものでした。
五十嵐氏の漫画はデビュー時から大好きでずっと読んでいますが、嘘を描くということがまずない漫画家のひとりです。これは何かの幻想にとらわれることが無いという意味です。
どこに生きていても、人間らしく生きることは可能だし、当たり前だと思うのです。
田舎幻想をぶっとばせ!
『リトル・フォレスト』はこの幻想を鮮やかにぶっとばしてくれます。
鉄ヲタ・ニューウェーブ『鉄子の旅』 [漫画]
『鉄子の旅』1〜4巻を読んだ。
鉄道オタク、マニアと呼ばれる人々は世の中に意外と多く存在している。
かくいう私の友人にも(本人は絶対に認めないだろうが)鉄ちゃんがいる。
付け加えておくと、私は時刻表を調べるのも億劫な、ただの凡人だ。
自動車好きの人にはなぜだか格好いい印象がある。しかし、鉄道オタク(鉄道好きとはあまり呼ばれない)にはそんなスマートな印象は与えられない。何故だろうか。
自動車の内部構造や部品の名前に詳しくて、良い中古屋とも懇意で、日々改造に熱心な人間がいたとしよう。自分の車を写真に納めて誰かに自慢げに披露するかもしれない。『モーターマガジン』を毎号買っているかもしれない。
そんな人間が、たとえ普段はちょっとオタクっぽい雰囲気を醸し出していたとしても、話題の中で自動車のことに異様に詳しい人だと分かった瞬間に、彼は「ちょっと頼れそうな男」に見えるような気がする(個人的見解です)。
しかし、だ。普段は快活で人付き合いもよく、明るくさわやかな人間がいたとしよう。ある日、彼が電車のダイヤに精通し車両の部品の名前に詳しくて、乗り継ぎの研究に熱心だということが分かってしまう。電車の写真を誰かに披露する、なんてこともしてしまうかもしれない。『鉄道ジャーナル』を毎号買っているかもしれない。時刻表も毎月買っているかもしれない。
その瞬間、彼は「実はかなりオタクな男」だと思われてしまうに違いない(たぶん皆そう思う)。
何故だろうか?何故、同じじゃないのだろうか。
電車が好きだなんて子供みたいだから?いやいや子供は自動車だって好きだ。子供時代を引きずっているなどという浅はかな考えでは理解されない。
『鉄子の旅』に出てくる横見さんは、きっとそんな理不尽さを身をもって理解しているに違いない。だから必死なのだ。鉄道オタクを『鉄ヲタ』と改称し、格好よくさわやかなキムタクと同列に扱われるようになるよう、日々研鑽しつつ列車に乗っているのだ。
漫画家のキクチさんは鉄道オタクを迷惑がる人々の代表として自分を描いている。巻を追うごとにその非難の舌鋒はゆるゆる鈍くなっていくが、それは知らないうちに自分が鉄道の旅を楽しんでいるという気持ちに嘘をつけなくなったのだと読み取れる。自分が鉄道オタクの領域にはまりこんでいることを半分自覚しつつ、抵抗しているのだ。
だから、4巻までくると鉄ヲタへの突っ込みではなく、横見さんというキャラクターへの突っ込みへすり変わってしまう。この得難いキャラクターを突っ込むことで生まれる笑いが、この巻ですっかり板についたのである。嫌みも無く、ただただ面白く、笑える。
それにしても・・・毎日、通勤で利用している駅も通過するだけの駅も、全部横見さんが降りたことがあるのだと考えると、ちょっと・・・すごいね。
ホームに横見さんの幻が見える・・・